被害妄想

20歳の底辺大学生が一生懸命生きているブログ

こんなはずじゃなかったのに…!の話

こんなはずじゃなかったのに…!と思うことはあるだろうか?いや、答えなくても大丈夫。20年ちょっとの経験から私は、こんなはずじゃなかったのにと思わない人などいないと言うことを分かっているからだ。

ちなみに私は今、現在進行形で思っている。

4月1日。エイプリルフール、私も冗談のような1日を過ごした。内定した会社の入社式だ。何人かの同期たちと共に晴れて社会人の一員となった私は椅子の背もたれなど使わない(背もたれを作っている人ごめんなさい)立派な面持ちで人事部の話を聞いていた。

入社1日目の内容は入社式と社会人マナーだった。アホくさいビジネスマナーにはうんざりしていたが、まぁ聞けないこともないという内容だった。そして何事もなく家に帰り、時計を見る。何時だったかお分かりだろうか。22時56分だ。あれ?時計が壊れてるのか?定時は確か、17時だったはず…。私の家から会社までは遠く2時間かかるのだが、それを差し引いても21時前。仕事など1つもしていないのになぜこんな時間に!?

天才的な私の頭脳には不安という真っ赤なライトがサイレンと共にビカビカ光っていた。今日は色々することあったし、しょうがない。明日からせめて定時の1時間後には帰れるだろう。

23時24分。4月2日の帰宅時間だ。タイムカードを押す時にこっそり上司のも盗み見た。彼は22時に退社していた。それも1ヶ月ほぼ毎日。どういうことかお分かりだろうか。休んでないのだ。本当に。マジで。

私の不安サイレンはいよいよ大型スピーカーで町中の人にこの危機を知らせようとしていた。

ちなみに私の起床時間は5時だ。死んだ。

このまま私は社会の藻屑となって過労死自殺と新聞の地域面を飾るのだろうか…。

このままじゃまずい。一刻も早く昇格してこの地獄を終わらせなければ。

取り敢えず、まだ生きてる。そのうちこのブログも生存報告だけするようになりそうだな…

あぁ…本当、こんなはずじゃなかったのに…

先生に嫌われていた女の子の話

昔話がしたい。

先生にとても嫌われていた9歳の女の子の話。楽しい話でもスッキリする話でもないが、誰かに聞いてもらった方が彼女も浮かばれるのではないかと思う。

彼女は普通の女の子、と自分では思っていたが少しだけ普通とは違っていた。4人家族のうち母親は自閉症である弟にかかりきり、父親は普段は温厚だが彼女や他の家族の意図しない所で突然怒り出し、怒鳴ったり物を投げたりして暴れた。まだ幼かった彼女はその場で硬直し、ただひたすら終わるのを待つことしか出来なかった。誰も父親が怒るタイミングや原因を理解できなかったのでいつ爆発するか分からない爆弾を前に彼女も他の家族もどうか今日は爆発しませんようにと祈るしかなかった。

そんな彼女の4年生の時の担任はベテランの厳しいことで有名だった中年男性だった。初めは先生と彼女の関係は普通の教師と生徒のそれだったが、ある時を境に先生は彼女に対してどんどん厳しく当たるようになる。

最初は分数の宿題だった。彼女は算数が苦手で分数と少数の理解がほとんど出来てなかった。その事を言い出せない彼女はクラスからどんどん置いていかれ、その内授業を理解する事をやめた。そうすると当然宿題が出来なくなった。宿題を出さない日が1日、2日と過ぎていき、彼女はとうとう先生のブラックリストに入れられた。先生は彼女を放課後に呼び出しキツく叱った。それは正しい行いで彼女は怒られるべきだった。しかし、彼女は年上の男性に怒鳴られるという事にどうしようもないくらいの恐怖を感じていた。頭は考える事を止め、手も足も表情ですら硬直し動かなくなった。心臓だけがバクバクと音を立てて鳴り、足元が崩れ奈落の底に落ちて行くような感覚を味わった。

次に彼女の頭が正常に働いた時、最初に見たのは怒りで顔を真っ赤にしている先生の顔だった。先生はどうやら彼女が反省の1つもしていない事に腹を立てているようだった。親にも連絡したからなと言われその日はそのまま家に帰らされた。家に帰ると母親が、今日から一緒に宿題をしようと言ってくれた。彼女は母親の手間を増やした事を申し訳なく思った。父親は怒らなかった。彼は彼女が何かしたり、誰かから何かされた時には怒らない。その日から彼女は頑張って宿題を少しずつ出すようになった。

しかし、彼女と先生の距離は縮まらなかった。ある日の昼休み、彼女は図工の宿題を先生と他の生徒が批評しているのを聞いてしまった。これは良い、これはもう少し、楽しそうに喋っていたが先生がある作品を手に取り「これはアカンわ」と言った。何故ダメなのか聞く生徒に、色がアカン、切り方が汚いと先生は理由をいくつか話してその作品を持ち上げた。それは彼女の作品だった。その後も何個か作品のダメな点を挙げた後で先生はその作品に名前が書かれていない事に気付いた。5時間目の図工で宿題の返却が行われた。全員の返却が終わった後に先生は例の作品を持ち上げ、名前は無いけど誰のだ?と聞いた。それを見た友達は彼女に「これアンタのちゃうん?」と大きな声で言った。彼女は首を横に振り、私のじゃないと返した。他の友達も彼女の物だ、出すのを見たと言っても彼女は首を横に振り、宿題をしてこなかったと言った。しかし、その宿題は全員が提出しており彼女の嘘はすぐにバレた。俯く彼女の机に作品を置きながら「いつかお前は友達無くすぞ」と先生は吐き捨てた。

別の日には、算数の授業で大分前に出した宿題の答え合せをする事があった。大分前の事なのでその宿題を持ってない生徒が沢山おり、先生が持ってない生徒のプリントを印刷する事になった。先生はプリントが必要な生徒に手を挙げさせた。もちろん彼女も手を挙げた。先生は数えた後職員室に向かいその枚数分のプリントを持って教室に返ってきた。そして1人ずつに配ったら何故か1枚足りないという事態になった。先生はもう一度生徒に手を挙げさせ、数を数え直した。すると、先程より1人多く手を挙げているようだった。先生にはすぐ犯人が分かった。「おい、お前さっき手挙げてたか?」彼女に聞くと彼女は曖昧に頷いた。「嘘を吐くな!」怒鳴られた彼女に例の発作がまた現れた。もう自分では動けなくなってしまったのだ。何も弁明をしない彼女を立たせ、何故嘘を吐くのか、もうお前の事を誰も信用できないとクラス全員の前で叱った後、先生は彼女に自分の分のプリントを印刷してくるように命じた。彼女は動かせない手足を無理やり引きずって、一体自分の何がいけなかったのかを職員室のコピー機の前で考えていた。

10月半ばくらいになると彼女はだんだんと体調を崩し始めた。朝4時に目が覚めそれからずっと謎の頭痛に悩まされた。朝ごはんを食べ玄関先に行くと今度は腹痛がした。休みの日は昼の12時を超えるとあと何時間で学校が始まるかということしか考えられるなくなった。そして朝になると腹痛。痛い、学校に行けないと言うと母親は心配そうな顔になり学校に休みの連絡を入れた。父親はまた休むのか、小学生は気楽でいいなと嫌味は言ったが、それ以上は何もしてこなかった。学校を休みがちになった彼女のもとに先生が面談に来た。何故学校に来れない?何か嫌なことがあるのか?と聞く先生に彼女は何も答えることが出来なかった。

誰にも何も言うことが出来ない彼女は、その内学校に行くしか選択肢が無くなってきた。不登校でいる勇気もなかったのだ。幸い、友達は優しい子ばかりだったので先生を怒らせないようにしていれば平和な日々を過ごせた。彼女は学校に戻ってきた。そしてこの後、大変な騒ぎを起こしてしまった。

彼女はある時、違うクラスの友達5人と遊んでいた。この友達の1人が、気の強いやんちゃな子で他の4人も彼女も怖くて逆らえなかった。そしてこの子の提案で彼女達はとてつもなく悪い事をしてしまった。一応彼女の名誉の為に書いておくが万引きや他の人に迷惑が掛かることではない。ただ凄く危ないことだ。もちろん小学校から何人も先生がすっ飛んできて彼女含めた6人はこっ酷く叱られた。暫く叱った後、十分反省していると思ったのか5人は家に帰らされた。だが何故か彼女だけはその後学校に連れていかれまた説教を受けた。何故私だけと流石に彼女も思ったが、自分が悪いという自覚があったのでずっと黙って聞いていた。先生は彼女が反省している様子を満足そうに見つめた後、もう帰っていいぞと彼女を家に帰らせた。他の5人が帰った2時間後のことである。

次の日、登校した彼女に待っていたのは裁判だった。弁護人がいない、検察と裁判長が同じ裁判だ。先生は彼女を黒板の前に立たせると、彼女が以下に悪い事をしたのか、これから反省すべきなのかを語った。何故か他の5人の名前は挙げられなかった。クラスの子は彼女を笑い、それから暫く彼女は罪人として扱われる事になった。後で聞いたところ他のクラスではそんな事は行われなかったという事だった。同じ罪を犯したのに、他の5人は匿名で守られ彼女1人だけが矢面に立たされ罪人と笑われた。先生はその様子を見て満足そうに笑っていた。

これでおしまい。ハッピーエンドじゃ無いどころか起承転結さえないつまらない話だったと思う。何故私が彼女の話をしたのかというと、成人という大きなイベントを迎えた夜に彼女が夢に現れたからだ。彼女は夢の中で以下に自分が苦しいか切実に語り、誰も味方がいないのだと言った。それから彼女はずっと私のそばにいて、寝る時や嫌なことがあった日に私に向かって語りかけてくる。私は彼女を成仏させなければならない。

私は彼女を馬鹿だと思っている。言えば良かったんだ。父親が怒鳴り散らして物に当たっている事も、そのせいで男性の怒鳴り声が怖い事も、算数が理解できない事も、手を上げなかったのは自分じゃないことも。でも何故言えなかったのかも十分理解できる。世の中の大人は先生や親だけじゃない。その事が分かるのはきっと9歳よりずっと先のことだ。本当に馬鹿だ。でもその後もずっと学校に行き続けた。負けなかった。私は敵だらけの中で戦った9歳の君をずっと誇りに思ってる。20歳になった君は、30歳の父親より、40歳の先生よりずっと大人だ。君のような子が側にいたら助けてあげられる。助けてあげられなくてごめん。でももう大丈夫、20歳の君はとても幸せだから。

昔話はこれで終わりだが、未来はこれからハッピーエンドに向かっていくはずだ。

 

やっぱロッキーってイカしてるわって話

ずっと見に行きたかった映画『クリード 炎の宿敵』を見てきた。

これはあくまで私の考えだが、クリードのテーマというのは「親から受け継ぐもの」だと感じるのだ。

ドニー(主人公)はアポロという親を持ち、何をするにもアポロの息子という言葉を付けられてしまう。しかし、そのおかげでロッキーと出会い彼と一緒にボクシングをすることができた。アポロから受け継いだ闘志、絆、名誉全てのものを背負ってドニーは戦う。一方、ドニーの彼女(2では結婚して正式なパートナーになった)ビアンカは進行性の難聴で、自身とドニーの子供にその難聴が受け継がれてしまう。今回の敵であるヴィクターはロッキーへの憎悪と闘志を親であるイワンから受け継いでいる。良いものも悪いものも色々なものを親から受け継いで、それぞれが悩みながら戦う。そこに観客は感情移入し、応援してしまうのだろう。

というか、イワンはロッキー4で完全にヤベェ奴だったのが今回の映画で大分印象が変わった。特に試合の終わり方がとても良かった。

そして肝心のロッキー親子だが、ラストシーンでロッキーが息子の住むカナダを訪れた際、孫を見てこう言う。「君の父親の母親(つまりエイドリアン)にそっくりだ」というわけで、良いものも悪いものも親から受け継ぎ、それを背負って戦うというのが今回のテーマだと私は思っているのだった。

3作る時はまた是非ドラゴ親子を出して欲しい。個人的にロッキーにおけるアポロくらい好きなキャラクターだった。今回のVIPだった。間違いなく。いや本当に。

てかロッキーの癌は結局どうなったんだろ?治ったのか?

 

追記: 人が少なかったせいで「12人の死にたい子供たち」と「リング」の予告がクソ怖かったわ!マジでチビるかと思った…

卒業検定に落ちた話

卒業検定に落ちた。それはもう見事な落ちっぷりだった。右折する時に歩行者に気を取られ直進車に気が付かなかった。補助ブレーキを踏んだ先生は「気を落とさないでね」と優しい言葉をかけてくれたが、逆に今日気を落とさないでいつ気を落とすのだろう。涙目で頷いて「逆に検定でやらかして良かったです」と強がって立ち去ろうとしたら教習所の柱に思いっ切り頭をぶつけた。大学生らしい人が私の方を見てくすくす笑っていた。今日は何だ?厄日か?

厄日、そう今日は本当についていなかったのだ。卒業検定の時間は朝10時。いつもならシャトルバスに乗って教習所まで行くのだが、一番早い時間が10時36分なので間に合わない。なので自転車で行くことにしたのだが、駐輪場へ行き唖然とした。自転車が風で薙ぎ倒され水溜りに浸かっていたのだ。(今日は小雨が降っていた)慌てて自転車を起こし、サドルを拭こうとハンカチを探したのだが見つからない。家に置いてきてしまったらしい。諦めて上着の袖でサドルを拭き、いざ走り出したとたん強くなる雨。この時点で早起きしてセットした髪の毛はグチャグチャである。その後もバランスを崩して転けかけるわ、ペダルで足を擦りむくわ運が悪いとしか言いようがない状態だった。

そして前述の通り卒業検定を落とされ、帰りにマンションの駐輪場で他の自転車をドミノ倒しにした。この時点でライフポイントは限りなく0に近いのだが、何とか心を保って自転車を直し家に帰った。あーあ、もうやってらんねーわと自分の部屋を開けて私が見たものとはテーブルの上にある大量の猫のゲロだった。

こんなについてない日というのがあっても良いものだろうか。私が何か悪いことをしたのか。卒業検定の行きしに太陽の塔を睨みつけたのが良くなかったのか。どちらにしろもう心が折れそうだ。猫のゲロを片付けながら私は相当落ち込んでいた。このまま永遠に受からなかったらどうしよう。とここまで考えて私は手元のスケジュール帳を開いた。私の通っている教習所は全ての教習を終えてから3ヶ月以内に卒業検定を合格しなければならない。今日落ちたから後24回。冷静に考えて24回も検定を受けて受からない奴がいるだろうか?まぁ大丈夫だろう。

私の長所はポジティブなところだ。今日落ちたから何だ。まだたった1回しか落ちてないじゃないか。今日落ちたらまた次、次落ちたらその次、七転び八起きの精神で頑張ってみよう。

とにかく次の検定は2日後。頑張ろう。とにかく頑張ろう。…七転八倒にならないといいが。

結局青汁かよ!の話

私は今、半引きこもり状態である。

大学は夏休みでバイトもそんなに入れてない。教習所には通っていたが不登校になって早2ヶ月が経つ。そんな訳で昼まで寝て、起きてもゴロゴロ寝転がりながらテレビを見ているような生活が続いている。

昔、小学生の頃。学校を休む度に、ガンコちゃんやらストレッチマンやらのNHK番組を「昼間から学校も行かずにこんなテレビ番組見てる」などと謎の罪悪感と優越感に浸りながら眺めていたが、大学生にもなると流石、まったく何の感情も浮かべずに鼻をほじりながら見ることが出来る。そもそも今はもうNHKなんか見ないし。

今ハマっているのは通販番組だ。特に青汁や健康サプリメントのCMなんかは堪らない。テレビを見ていると突然ドキュメンタリー番組のようなものが始まり、時には笑い時には泣き波乱万丈な人生をVTRが映し、こっちがスタンディングオベーションをする一歩手前で「実は今のは青汁のCMなんですよ」とネタバラシをしてくる。こっちなんかもう丸々映画一本見たくらいの気持ちでいるのに今のがCM。ぴあフィルムフェスティバルくらいなら賞が獲れるんじゃないだろうか。CM部門では獲れないと思うけど。

もっと驚くべきことはその認知度の高さである。先日、友達に映画を見たと言ったらどんな映画だったか聞かれたので

「青汁のCMみたいな映画だったわ」

と言ったら、友達は深妙な顔をして

「なるほどねぇ、だったらTSUTAYAで出るの待つわ」

と言った。通じるのか。まさか通じるとは思わなかった。私がよほど変な顔をしていたのか、友達はビックリした顔になって

「え?TSUTAYAって新作1年くらいで出るよね?」

とトンチンカンな事を言ってきたので笑った。

ちなみに家に帰って同じ事を母親に言ったら、

「そうなの。じゃあwowwowでやるの待とうかな」

と返ってきた。ウチの方が裕福である。ちょっと優越感を感じた。

 

 そんなどうでもいい優越感は置いておいて、そんな青汁CM的な話(と書いて“ちょっといい話”と読む)でもしようかと思う。ここまで来てやっと本題。

 

少し前に、小学生くらいの男の子を見かけた。近所に小学校があるので小学生を見るのは別に珍しいことではないのだが、その小学校のハナタレ坊主とその男の子とでは明らかに纏っている空気が違う。

ピシッと整えられた短髪に上品な顔立ち。キチンと糊付けされている半袖のシャツと紺色のハーフパンツ、そこから伸びているキズ一つない細い足。

何処かのお金持ちのご子息のような佇まいのその少年は、「管理棟」と呼ばれる小さな時計台のある建物の前でじっと何かを待っていた。

私がコンビニに行く途中に見かけた少年だったのだが、用事をすませ家まで帰る道にまだ居る。誰かを待って居るのか?声をかけた方がいいか?そう懸念していると、急に少年がパッと顔を上げ、

「おじいちゃん!」

と叫んだ。少年の目線の方を見て見るとなるほどこれまた品の良さそうなおじいさんがゆっくり歩いているのが見えた。

「おじいちゃん!どこに行ってたの?ずっと待ってたんだよ!」

「ごめんねぇ、寂しかったねぇ。」

映画のワンシーンのような会話である。実はこの会話を聞いただけで既に私はグッと来ていた。「母を訪ねて三千里」を見ているような気持ちと言えば伝わるだろうか。(因みに私は「母を訪ねて三千里」を見たことがない)

とにかくこの少年には何かとてつもなく悲しい過去があるのではないか、父は蒸発して母は病気がち。少年はお金が必要だがこのご時世、小学生は働くことが出来ない。そこで生まれてから一度も会ったことのない父方の祖父にお金を援助してもらうべく養子にーーー。

というのは私の妄想だが、まぁとにかくそんな背景が見えるくらい映画チックだったのだ。

 2人はしばらく管理棟で何かを話していたが、おじいさんが「帰ろうか」というと2人は手を繋いで何処かへ去っていった。これでお仕舞い。実に感動的な話だ。

そして3日後、私は再びその2人と再会する。

今度は管理棟じゃない。私の実家でだ。

「この子は身の上が複雑で、父親が蒸発し母親は病気がち。まだ小さい妹が居り、このままでは食べて行くことが出来ません。私が面倒を見ているのですが何せ老い先の短い人生。この子が公に働きに出られるようになるまでに死んでしまいます。そこでお願いがあるのですがこの子をお宅で雇っては頂けないでしょうか」

と言われた訳ではない。

朝方、インターホンが鳴ったので出てみると件の2人が立っていた。相変わらず上品そうな佇まいで顔には微笑を浮かべている。こちらもつられて微笑みを浮かべるとおじいさんが言った。

「あなたは神を信じますか?」

微笑む私、微笑むおじいさん。少年は手に持っていたパンフレットを「どうぞ」と私に手渡した。そのパンフレットには『○○教(ちょっと怖くて実名は書けない)』という大きな文字。

ドアを閉めた。閉める間際に必死で絞り出した「結構です」の声が2人に聞こえていたかどうかは分からない。ただ、こういう反応は慣れているのだろう。特に食い下がるような様子もなく、2分後ミラーを覗いた時にはもう姿は見えなかった。これでお終い。

最後の最後で「宗教かよ!」とがっかりする話。どうだろうか、これこそまさに青汁CM的な話ではないだろうか?ちょっといい話というのは人を惹きつけるものだけど、こういうちょっと間抜けなオチがある方がしんみりしなくて良い。

 

結局何が言いたいのかというと、今日も1日青汁を飲んで頑張ろうということである。

 

居酒屋でバイトをしていた話

昔、私が大学1年生の頃。駅前の居酒屋でアルバイトをしていた。

個人経営の店で口調は厳しいが愛のある女将さんと無口な大将、それから私を含めた3人のアルバイトが日替わりで来て店を回していた。まぁつまりは女将さんと大将それからアルバイトの全3人で店を回すのだが、大将と女将さんは厨房の担当なので実質アルバイト1人でホールは回すことになる。

 

 まぁこのホールというのが大変で、狭い店なのだがいや狭い店だからこそ客が店員を待つという事をしない。私が他の人の注文を取っている時に個室から顔を出して大将に直接注文をする。 

「大将!ココロとササミとネギつくね、それからコークハイとレモンサワー、ジンジャーエール!あとこれ(さっき頼んだ黒霧島の水割り)お代わり!2つね!」

大将はそれを穏やかな顔で聞き、「分かりました」と返事をする。そして後で別の客の注文した料理を取りに行った私にこう言う。

「おい、さっきのメモとったか?」

「いいえ、6番(テーブル番号)の注文取ってたもんですから」

「とっとけよ!使えねぇやつだなぁ!」 

テメェがとっとけこの木偶の坊!と言いたくなるのをぐっとこらえ「スミマセン」と謝罪する。そしてさっきの客の所へ行き、私が謝罪する。 

「スミマセン、さっきの注文メモとるの忘れちゃって。もう一回聞いてもいいですか?」

「お嬢ちゃん忘れちゃったの?しょうがないなぁ。でもこれ会社だったら大事だよ?」

会社だったら取引先の言葉を待たずに勝手に注文した時点で大事だろう。

そのままペコペコ頭を下げてメモをとり、それを厨房の冷蔵庫に貼る。

するとそのメモを見た女将さんが一言。

 「さっきの団体でササミ切れちゃったんだよ!だから今日はもうササミは出せない、断っといて!」

これだけ見たら何てバイト先だ!と思うかもしれない(私も毎日思っていた)。

しかし本当は優しい大将と女将さんだった。

とんでもない失敗をする私のことを叱咤はすれどクビにはせず根気よく教えてくれた。

自分で言うのもなんだがその時はまだ18歳で社会にも出たことのない小娘。仕事どころか世間の常識さえもロクに分かっていなかった。

 

 例えばある日の開店前、女将さんから桃の缶詰を渡された。

「これやっといて」

缶詰を開ければいいということは分かる。私にも分かる。しかし私はどうやって缶詰を開けるのかが分からない。どうやって開けるのか。5分ほど悩んだ末に私は引き出しからスプーンを取り出した。

5分後、呆れた顔をした女将さんに私は缶切りの使い方を教えてもらっていた。

「缶切りってのは缶詰を切って開けるから缶切りなんだよ。他のモンで代用できたら缶切りの仕事が無くなっちゃうだろう。ウチは仕事が無い奴を置いておくほど余裕はないよ」

後半は多分私のことを言っているんだと思う。

取り敢えずはまぁ缶切りの使い方が分かって良かった。次からはこの仕事を頼まれても完璧にこなすことが出来る。店の掃除をしながら次こそはと意気込んでいると台所から大将の悲鳴が聞こえた。どうしたんですかと駆け込むと難しい顔をした大将、の右手にさっき私が缶切りに使ったスプーン。

「おいこれ見てみろスプーンがグニャグニャ曲がっちゃってんじゃねぇか」 

その時、私の頭の中に天使と悪魔が降臨した。正直に言うべきか、誤魔化すべきか。 

「大将、これはアレです。ここの室温で形が変わっちゃったんですよ。形状記憶合金ってやつです。」 

形状記憶合金?と首を捻る大将に私は懇切丁寧に形状記憶合金の説明をしてあげた。

すると大将はグニャグニャのスプーンをコンロの上にかざし炙り始めた。

 「戻らねぇじゃねぇか」

 「こりゃダメですね。スプーンの奴、この暑さでバカになりやがったみたいだ」

 結局は全てバレた。滅茶苦茶に怒られたがクビにはされなかった。後で聞いた話だが、前にも同じようなことをしたアルバイトが居たらしい。こんなバカなことをするのは私だけじゃなかったという安堵感と私がやったと知っていたくせに形状記憶合金の芝居に乗っかってきた大将への怒りが沸いた。

 

それから、私はよく皿を割った。1枚2枚なんてもんじゃない。常連さんなんかは私が皿を割るのを聞くたびに

「最近この音を聞かねぇと店に来た気がしねぇんだよなぁ」

と言っていた。失礼な話だ。

まぁそのくらい皿を割ってしまう私が悪いのだけれど。もしかしたら店にある皿の半分くらいは割ってしまったのかもしれない。

もしもあの居酒屋が番長皿屋敷だったらどうなっていたのだろう。お菊の幽霊が出て

「いちまーい、にまーい...」

と数えて最終的には

「135枚足りなーい…」

何か可哀想になってくる。番長皿屋敷に例えるといかに皿を割ることがいけないことなのか分かる。大将と女将さんそれからお菊にも悪いことをした。

当時もそりゃ反省はしたし、明日こそ絶対割らないと心に誓ったりもした。でも割ってしまうものは仕方ない。

居酒屋には賄いがあったのだがそれ食べる度に

「バカヤロウお前、居候でも三杯目はそっと出すってぇのに店の皿を5枚も割っておいてそんなに堂々とお代わりするやつがあるか!」

 なんて呆れられたものである。

 

まぁでもこんなものはまだ笑える失敗だ(自分で言うのも難だが)。

事件はよりにも寄って私が居酒屋を辞める1週間前に起こる。何が起こったのか詳細を語るのは今でも抵抗があるので端的に話す。

一升瓶を割った。しかも新品のやつ。

もちろん割ろうと思って割ったのではない。その日は居酒屋でも類を見ない忙しさで私も狭い店内を走り回っていた。その時に女将さんから「これそこらへんに置いといて」と新品の一升瓶を渡され、倉庫の前に少々乱暴に置いたのだ。落としたんじゃない。置いたのだ。そしたら割れた。何てヤワな奴だ。ビックリした。音を聞きつけてやって来た大将と女将さんはもっとビックリした顔をしていた。ここが番長皿屋敷ならお菊もビックリしていただろう。

「いちまーい…にまーい…一升瓶が足りなーい…」

取り敢えず土下座した。当たり前だ。当時は未成年なのでピンとはこなかったが酒は高い。一升瓶なんてそりゃもうボロクソに高いのだろう。それに一升瓶をそのまま客にドンと出すわけじゃない。一杯何百円で客に売るのだ。これ一本でどれだけの利益があったんだろう?

「焼酎が一杯…二杯…全然足りなーい…」

大将は怒らなかった。女将さんも怒らなかった。ただ低い声で「ホールに戻りな」と言って大将は調理場に女将さんは箒と塵取りで一升瓶の残骸を片付けていた。

その夜もう一度土下座をして私は家に帰った。

賄いを食べなかったのは働いてから初めてのことだった。

 

それから1週間が過ぎ、とうとう私が居酒屋を辞める日になった。

 女将さんは「元気でね」と特製の卵焼きを賄いにくれたが、大将は何も言わなかった。

卵焼きを食べながら、もうここで働くことはないんだなと思っていると不覚にも泣きそうになったので水を飲んだら変な所に入って噎せた。結果泣いた。苦しくて涙が出ただけだけど。

そして本当に最後、「お世話なりました」と頭を下げて店から出ようとしたら大将に引き止められた。別れの言葉でもくれるのかなと振り返ると大将は言った。

「来月にさ悪いけど、今月の給料ここまで取りにきてくれねぇかな」

こうして私の居酒屋バイト生活は幕を閉じた。

 

黒霧島1800ml、1724円。もしかしたら給料から引かれてるかもしれないと思ったが引かれていなかった。つくづくいい居酒屋だったと思う。ありがとう大将、女将さんそしてお菊。

 

私はこの居酒屋を辞めた直後はもう二度と居酒屋バイトなんかしないと心に決めていたが、そのわずか1年後、再び居酒屋でアルバイトをすることになる。しかもコンビニとの掛け持ちで。その話はまた今度。